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2026.01.01

対馬市の人口はいつから減り始めたのか、改めて考えてみる

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対馬市の人口はいつから減り始めたのか──この記事では、国勢調査をもとにした「減少の始まりの年」、そして周辺市町村や人口規模が近い自治体との比較を通して、対馬市の減少傾向の特徴を掘り下げていく。

昭和35年という転機を軸に、島の地理や生活インフラ、観光地との関係も交えながら、人口減少の背景を個人視点で読み解いてみた。

一番しっくりくるタイミングはいつか

対馬市の人口が減り始めたのはいつか。
いろんな資料を見て、自分なりに腑に落ちた答えがある。それは「1960年、昭和35年のあと」。

国勢調査の流れで見れば、1960年あたりをピークに、その次から人口がじわじわと減っていく。
減少の出発点は昭和35年の次の調査年と見るのが自然だと思っている。

ただ、「ここからです」とピタッと一点に決めるのは少し違和感がある。
島の人口って、数字の変化よりも生活の変化のほうが先に起きることもある。
昭和35年を境に、島外へ向かう動きが太くなっていった。だから、その流れの中で人口減少が定着していった、というほうが実感として近い。

 

昭和35年が境目に見えるのはなぜか

減り始めたら戻らなかった、その特徴

対馬の人口は、いったん減少に入ると、回復することがなかった。
「減ってまた増えた」ではなく、「減ったらそのまま下り続けた」。
この一本の下り坂の長さが、かえって減り始めの起点を際立たせているようにも見える。

国勢調査の数字だけ見れば、単純にピークの次から下がっていればそこが始まり。
でも私は、数字の折れ線ではなく、そこに暮らす人たちの選択や動きを含めて捉えたい。

島の玄関が遠いという現実があったのでは

対馬は、空港や港を通らないと島の外に出られない。
対馬やまねこ空港、厳原港、比田勝港。いずれも玄関口としては機能しているけれど、「出入りに手間がかかる」ことに変わりはない。

そして島の中心を通るのは国道382号。
厳原から北へ一本通っていて、生活の大動脈のような道になっている。
ただ、それが「便利だから残る道」ではなく、「その道を通って出ていく道」になってしまう瞬間がある。進学、就職、転勤。どれも外向きの流れを支える要素だ。

私はこの道路の一本感が、人口減少の方向性に拍車をかけたんじゃないか、と見ている。

 

場所の名前を出すと、人口の話が急にリアルになる

厳原に集まる暮らしの合理性が周辺を静かにする

対馬の生活インフラは厳原に集中している。
市役所も病院もスーパーも、まずは厳原。対馬市役所、長崎県対馬病院、マックスバリュ対馬いづはら店。名前を挙げていけば、なるほどな、と思う。

便利な場所が強くなれば、当然それ以外の場所は静かになっていく。
通院も買い物も、車がなければ不便。バスの本数が減れば、それだけで生活の選択肢が狭まる。
周辺の集落は、誰かがいなくなったら、戻る理由もなくなる。
こういう静かな変化が、数字に表れる前に暮らしに染み出してくる。

対馬には観光の魅力があるけれど

観光で訪れるなら、対馬にはたくさんの魅力がある。
金田城跡、万関橋、烏帽子岳展望台、和多都美神社。景色も文化も濃くて、たしかに見応えがある。私自身も行ったことがあって、その強さはわかる。

でも、観光と定住は別の論理で動いている。
観光は「来る理由」があればいいけれど、定住は「暮らし続ける理由」が必要になる。
道路、病院、スーパー、職場、学校。全部そろって初めて定住になる。
そのハードルは、思っている以上に高い。

 

周辺の市町村と比べて、対馬の減り始めの位置を知る

島同士でも時計の進み方が違う

対馬だけを見ていてもわからないことがあるから、周辺の島にも目を向けてみた。

たとえば壱岐市や五島市は、対馬より少し前にピークを迎えて、そこから人口が減り始めたとされている。
つまり、同じ「離島」という条件でも、減少が始まった時期はバラバラなんだ。

対馬の減り始めは1960年。
壱岐や五島は1955年あたりで山を迎えている。
この差は、産業構造の違いだったり、本土とのアクセスだったり、いろんな要素が絡んでいるんだと思う。
対馬は少しだけ減り始めが遅かった分、坂が長くなった。その可能性はあると思っている。

 

人口規模が近い市と比べると見えてくること

規模が似てても減り始めはまったく違う

対馬と人口が近い自治体を調べてみたら、大分県の杵築市、奈良県の宇陀市が浮かび上がってきた。(市町村人口ランキング
どちらも今は対馬と同じように3万人前後の人口になっている。

けれど、減り始めた年を見ると全然違う。
杵築は1955年ごろから下り坂に入っていたらしいし、宇陀はむしろ1990年代半ばがピークだった。

数字が近いだけで同じ土俵に立っているわけではない。
出発点が違えば、下り方も違う。ここが重要なポイントだと思う。

杵築市との比較で気づいたこと

杵築は城下町としての顔があり、観光にも力を入れている街。
大分市や別府市にアクセスしやすい場所でもあって、生活圏が本土の中で完結する構造がある。

でも、そんな杵築ですら人口が減っている。(杵築市の人口について
それを見て、「対馬だけの問題じゃないんだな」と思った。
国全体の構造が、すでに人の流れを都市集中へ向けていた。だから、島はもっと早く、もっと急に影響を受けた。

宇陀市との比較で感じたこと

宇陀市は奈良県の東の山間部にある。
道の駅があったり、室生寺のような観光地もあったりして、訪れる理由はそこそこある。

でも、減り始めたのは1995年くらい。かなり最近まで持ちこたえていた。
それでも一度下がり始めると、3万人を切るまでが速かった。(宇陀市の人口推移について
このことが逆に怖い。
対馬は長い時間をかけて減ってきた。宇陀は短期間で減った。その違いが、地域にとっての受け止め方や備え方にどう影響するのかは気になるところ。

 

もう一度、自分の言葉で結論を置いておきたい

国勢調査から読み取れる一つの区切り

対馬市の人口が減り始めた時期については、やっぱり1960年、昭和35年の次。
これがデータ上ではいちばん納得がいく答えだと今は思っている。

でも、そこに私の感覚も重ねておきたい。
数字の切れ目だけじゃなくて、生活の流れとしての変化。玄関の遠さ、移動の選択、施設の集中、観光と定住の分離。そういう実感の積み重ねが、「減少が定着していった理由」になっているような気がする。

同じ人口でも、減少の背景はそれぞれ違う

壱岐や五島と比べると、対馬の減り始めは少し遅い。
杵築はもっと早くから減り始め、宇陀はずっと後から下り坂に入っている。

このバラつきを見て思う。
同じ人口でも、同じタイミングで同じ問題に直面してるわけじゃない。
だからこそ、対馬は「なぜこの時期に」「なぜこの形で」減り始めたのかを、地図や道や施設を重ねながら丁寧に考える価値がある。

私は、昭和35年をただの折れ線グラフの折れ目としてではなく、島の暮らしが外へ向かって回り出した「気配の始まり」として見ておきたい。
まだ仮説の域を出ないけれど、今のところそれが一番しっくり来ている。


2025.12.27

松浦市の人口って、いつから減り始めたんだろう?

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諫早から北へ向かって松浦へ行くと、空気がまず違うなって思う。

海の色が濃いし、風に混じってくる潮の匂いも全然違う。なんというか、「港の町に来たなあ」って感覚がするんよね。

松浦に行く日は、たいてい西九州道から国道204号へ。そのまま海沿いを流して、途中で「道の駅 松浦海のふるさと館」に寄ってしまう。魚がきれいに並んでて、つい何か買ってしまうのはもう毎回のこと。

で、本題。
この町って、いつから人が減り始めたんだろう?

 

先に結論だけ言っとく

松浦市の人口が減り始めたのは、1960年からです。

これはもう、国勢調査の数字がしっかり証明してる。

  • 1955年:58,388人

  • 1960年:60,912人 ← ピーク

  • 1965年:46,982人 ← いきなりガクンと減る

5年間で、1万4千人近く減ってる。冷たい数字だけど、けっこう衝撃。

 

昭和の松浦に、何が起きてたのか

松浦って、今でも「魚の町」ってイメージが強い。実際、松浦魚市場の活気もあるし、調川のあたりを走ると港の雰囲気がずっと続く。

でも1960年代、じつはかなり大きな変化があった。

炭鉱の閉山。それに伴う産業の変化。
松浦に限らず、県北の町はここでグラッと揺さぶられた。

仕事がなくなれば若い人が出ていく。戻らない。戻る理由もない。そんな流れが、1965年の人口急減にハッキリ出てる。

 

実際の数字を並べてみると…

今の松浦市の範囲(旧福島町、旧鷹島町を含む)で統一して見てみると、こんな感じ。

  • 1955年:58,388人

  • 1960年:60,912人 ← この年が頂点

  • 1965年:46,982人

  • 1970年:36,598人

  • 1975年:33,042人

  • 1980年:32,478人

  • 1995年:30,470人

  • 2005年:26,993人

  • 2015年:23,309人

  • 2020年:21,271人

1960年から1975年の15年で、約2万8千人が減っている。これはもう、町がまるごとひとつなくなったような感覚。

 

諫早から見える、松浦の「距離」

諫早から松浦へ行くには、佐世保を抜けて、国道204号を西へ走るのが定番。

途中から信号が減って、景色がどんどん開けていく。そのまま走ってると、「鷹島モンゴル公園」の案内板が見えてくる。芝生広場や遊歩道は無料開放されてて、子ども連れの姿もちらほら。

でも中心部に入ると、ふっと静けさを感じる。

松浦駅の周辺、志佐町のあたり。
まつばや松浦店の駐車場は車でいっぱいなのに、そのすぐ近くの通りは驚くほど静かだったりする。にぎわいと静けさの差が、ちょっとリアル。

 

人が減ると、施設の使われ方にも表れる

人口減少って、家が突然なくなるわけじゃない。

最初は空きが増えて、次に使い方が変わって、やがて維持できなくなる。そんな感じでゆるやかに変わっていく。

たとえば、志佐町にある「きらきら21」。
松浦市立図書館と中央公民館が入っていて、静かに過ごせるいい空間。

諫早の図書館は混んでて席が空いてないこともあるけど、松浦の図書館は違う。時間帯によってはかなり空いてて、勉強したい高校生にとってはありがたい環境。実際、松浦高校の子がよく利用してる。

あと「松浦市文化会館」。イベントがある日はにぎやかだけど、ない日は大きな建物がぽつんと静かに佇んでる。
人が減る町の公共施設って、どこか余白が目立つようになる。

 

減少を「感じた」のは交通の変化かも

数字の上では1960年から減っているけど、実際に肌で感じるようになったのは、駅前の寂しさが目立ってきたあたりからかもしれない。

松浦鉄道西九州線が通ってるけど、今の主役は完全に車。

駅の前に人がいなくなると、商店も減って、ますます駅の意味が薄れていく。そして人が歩かなくなる。歩かない町って、やっぱりちょっと寂しい。

一方で、西九州自動車道の松浦インターチェンジができて、道の整備はしっかり進んでる。国道204号の改良もあって、車ではかなり便利になった。

でも、人口って道路だけじゃ引き戻せない。過去からの惰性が強すぎる。

 

魚を買う時間に、暮らしのヒントがある

道の駅 松浦海のふるさと館で魚を買うのが好き。刺身も干物も、うまいし安い。

観光っぽく見えるけど、これは地元の暮らしの延長でもあると思う。

ただ、にぎわいが点で終わってしまうと、町全体は細く見える。
点をつなぐ“線”があって、その線を支える“面”があってこそ、暮らしって成り立つんじゃなかろうか。

たまに鷹島の方にも行く。橋を渡って海の景色がガラッと変わると、非日常感はある。でも住んでみたら、病院もスーパーも学校も「距離」がある。それが毎日のことになると、やっぱり大変だよねとしみじみ思う。

 

減り始めを知ることで、見えてくること

「1960年から人口が減っている」と知ったからといって、今日の夕飯が変わるわけじゃない。

でも、ずっと前から続いてる流れなんだとわかれば、目の前の出来事に一喜一憂しすぎなくなる。長い距離の課題だからこそ、焦っても仕方ないんだと思える。

そして、松浦の姿は、諫早の未来を少しだけ先に映した鏡のようにも感じる。今は人口が多くても、出生数が減れば同じ道をたどる可能性はある。

 

最後にちょっとした私的メモ

松浦に行くとき、いつも調川のあたりで車の窓を開けてしまう。港の匂いがして、ああ来たなあって思えるから。

帰りはスーパーで氷を買って、買った魚をクーラーボックスにしまう。それだけのことが妙に楽しくて、また行きたくなる。

日帰りでも行ける距離。でも、空気も景色も全然違う。その“違い”があるから、また行こうって思えるんだよな。

 

まとめておくと

松浦市の人口は、1960年をピークに減少が始まり、1965年には大きな数字の落ち込みが見られた。

その背景には、炭鉱の閉山や若者の流出、そして生活の足が車中心へと変わっていったことがある。

でも、今も松浦には、活気ある魚市場や、静かな図書館、広々としたモンゴル公園の芝生がちゃんと残ってる。

次に行くときは、国道204号を少しゆっくり走って、駅前の通りも歩いてみようと思う。歩かんと見えんもの、絶対あるけんね。


2025.12.22

もくじ

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なぜ川棚町の人口が12,667人なのか、コタツの中で本気出して調べた🛋️📱

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諫早市のプロパンガス代、実は下げられる?県の支援と見直しの話💡

南島原市の人口39,370人って実際どう?調べてみた👀📘

人口13,849人の佐々町👀減らない理由を追ってみた話

14,033人の波佐見町🫖人口減でも魅力が増す理由を調査

長与町の人口39,218人を調べて気づいた話🤣

人口16,304人の新上五島町🌊なぜ減ったのか気になって調査した

人口40,144人の雲仙市を気になって調べたら意外な発見📉

大村市の人口97,766人…気になって調べたら増える理由がじわじわ分かってきた 🤭📖

壱岐市の人口23,296人を見てつい気になって調べてみたら、数字以上の物語が見えてきた話 🏝️👀

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人口7254人の東彼杵町を調べてみたら止まらなくなった話 🌿✨

「おとなり島原市の人口、いま41,416人だってさ」~諫早市民の心の声~

🪖もうすぐ開催!街がひとつになる日🎌 大村駐屯地 市中パレード2025【11月15日(土)】

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🌆長崎の坂道が見てきた10年の物語──人口38万3,418人のまちのいま🌆

時津町 29,091人が暮らす今を静かに見つめて

諫早の人口 130,355人という現実

【第1報】諫早、観察をはじめました。
 


2025.12.22

西海市の高齢化が進むと、暮らしはどう変わる?

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諫早から西海市に行く日は、気分もちょっと切り替わる。
西海橋を渡って、国道202号をゆったり走っていると、空の広さと海の匂いがふわっと感じられる。
家と家の距離も広めで、なんだか呼吸が深くなる。

今回は、そんな西海市で高齢化が進むと、暮らしがどう変わるのか。
私なりに、生活目線で書いてみる。

まずは、ざっくり結論から。

 

3つの変化に絞ってみた

西海市で高齢化率が高くなると、暮らしのなかでとくに目立ってくるのはこの3つ。

・移動がひと苦労になる
・買い物と通院に、時間も体力も取られる
・助け合いが、やさしさじゃなくて必須になる

逆にいえば、車が使えるかどうか、近くに頼れる人がいるか、ちょっと寄れる場所があるかで、生活のしんどさがガラッと変わる。
この差は、大きい。

 

移動が大きなハードルに

諫早も車がないと不便だけど、西海市はもっと「車ありき」で成り立ってる感じがする。

例えば、大瀬戸、西彼、大島、崎戸…同じ市内でも、それぞれが遠い。
国道206号に出るだけでも一仕事な場所もある。

お年寄りが増えてくると、
・運転を続ける人
・免許を返納した人
・もともと免許を持ってない人
この3つが混ざってくる。すると生活の流れも三者三様。

車を運転できる人は、買い物も病院も一日でまとめられる。
でもそうじゃない人は、送迎の段取りから始まって、バスの時刻と天気を確認して…と、準備だけで疲れる。

西海パールラインを通って指方ICや大串ICを抜ければスムーズに見えるけど、
実際はそんなに頻繁に高速に乗るわけじゃない。

日常の足は、地道に202号か206号。
この現実、じわじわ効いてくる。

 

お店があるかじゃない、「行けるか」が大事

西海の買い物って、実は店は点在してる。
近所の商店と、少し大きめのスーパーや直売所の組み合わせで、なんとか暮らしを回している感じ。

たとえば「みかんドーム」。観光客が多いイメージだけど、地元の人も野菜や魚を買いに来る場所。
賑わってると、それだけでちょっと安心する空気になる。

「エレナ西海店」も生活の拠点みたいな存在。
お惣菜も日用品もそろうし、ATMもある。ほんとにありがたい。

でも、そういうお店があっても、「行けない」人には意味がない。
ここが一番の課題だと思う。

具体的な問題はこんな感じ。

・買い物は週1ペースになりがち。だから冷蔵庫が大きくなる
・米や水みたいな重い物は、家族か宅配頼みになる
・天気が悪い日が続くと外に出なくなって、足腰が落ちて、もっと出られなくなる

派手じゃないけど、ジワジワ効いてくるループ。止めにくい。

 

病院に行くのが、ちょっとした旅

お年寄りが増えると、当たり前に通院が増える。これはもうしょうがない。
でも問題は、通院が気軽じゃなくなること。

西海橋を渡る景色はきれいだけど、体調が悪い日にその距離はきつい。
しかも、診察して、薬もらって、せっかく外に出たから買い物もして…
一通り済ませたら、もうクタクタ。帰って寝るしかない。

送迎してる家族のほうも、けっこう疲れる。
仕事を調整して、昼間の何時間かをそこに使う。
これが週に何度もあるとなると、なかなかしんどい。

頼れるかかりつけ医が近くにあるとだいぶ助かるし、
訪問診療とか送迎サービスを利用できると、暮らしのリズムも崩れにくくなる。

ただし、そういう支援を受けるには手続きがいる。調整もいる。
それを誰がやるか。ここがまたハードル。

元気なうちに準備できたらいいけど、なかなかね。理想と現実。

 

公共施設は、ちょっとした「避難所」になる

高齢化が進むと、役所に行く機会が増える。
手続きや相談、いろいろある。

西海市役所の本庁舎は大瀬戸にあって、別館には福祉や健康系の窓口がある。
市内を移動してる人は、目的によって場所が変わるから、そこそこ大変。

そんな中、図書館や図書室の存在がありがたい。

・西彼図書館
・大島図書館
・崎戸中央公民館図書室
・西海歴史民俗資料館図書室
・大瀬戸歴史民俗資料館図書室

こういう場所が、それぞれの地域に点在してるのが西海らしい。
ただ本を借りるだけじゃない。

涼みに行ける、暖まりに行ける、誰かと話せる。
高齢者が多い町では、それだけで「安心できる場所」になる。
これ、ほんとに大事。

 

助け合いは、やさしさというより「生活の仕組み」

高齢化が進むと、地域のつながりが強くなる。
というか、強くならないと生活が回らない。

ゴミ出しに困ってたら、誰かが手を貸す。
草刈りや溝掃除は、少人数でなんとか回す。
誰かが倒れたら、まず近所が動く。

でも、助ける側も年を取っていく。
気がついたら、元気な人に負担がどんどんのしかかってる。

最初は「お互いさま」で始まっても、だんだん「いつも同じ人」が動いてる構図になると、疲れが見えてくる。

西海市のあちこちで、そういう場面が増えてる気がする。

 

観光地があると、暮らしにも効いてくる

西海市には観光地もいろいろ。

・長崎バイオパーク
・七ツ釜鍾乳洞
・大島大橋を渡るドライブコース

こういうスポットがあると、インフラも少しずつ整ってくる。
トイレがきれいになったり、案内板が増えたり。

実はこれ、高齢者にとっても嬉しい。
ベンチがある、屋根がある、道が歩きやすい。そういうちょっとした整備が、外出しやすさに直結する。

ただ、観光地が混み合う休日は、逆に生活がしづらくなることもある。
渋滞、駐車場不足、音。

賑わいと暮らしのバランス。これがむずかしい。

 

諫早から見ると、違いがはっきりわかる

諫早で暮らしていると、買い物も病院もいくつも選べるのが当たり前になってる。
でも西海では、そうじゃない日がある。

特に、車を手放した瞬間から、日常の見え方がガラッと変わる。

高齢化率が高い影響って、
ドーンと派手な話じゃなくて、
・予定を立てにくい
・外に出にくい
・人に頼む機会が増える
・疲れが抜けにくくなる

そんな、小さな不便の積み重ねだと思う。
そしてある日、それが一気に大きくなる。

 

もし自分が西海で暮らすなら

私だったら、こうする。

・元気なうちに、行きつけの店を決めておく
(エレナ西海店、みかんドーム、役所を一日で回る習慣をつける)

・近所や家族と、ちょっとした送迎や見守りの話をしておく

・図書館や公民館を、生活ルートに自然に組み込んでおく

これだけでも、年を重ねたときの安心感がだいぶ違うはず。

西海の景色は、ほんとうにきれい。
でも、出かける元気がなかったら、その景色も遠くなる。

だからこそ、「足元の暮らし」をどう支えるか。
高齢化が進む町では、それがいちばんの課題なんだと思う。


 


 

西海市に足を運ぶたび、自然の美しさと同時に、暮らしの「静かな大変さ」も感じるようになった。
特に、高齢化による変化は、じわじわと生活を締めつけていく感じ。
でも一方で、図書館や道の駅みたいな“居場所”がちゃんと点在してるのが救いでもある。
もし私が将来西海で暮らすなら、今から「暮らしの動線」を意識しておきたいと思った。
元気なうちに動く、ということの重みを改めて感じた一日だった。


2025.12.19

なぜ川棚町の人口が12,667人なのか、コタツの中で本気出して調べた🛋️📱

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川棚町の人口を調べてみたら、ちょっと寂しくなった件 🥹
〜行ってないけど、なぜか気になった町〜


最近ふとした拍子に、川棚町って単語が目に入った。


どこでだったか覚えてないけど、
たぶんネットの広告かニュース記事の見出しか、
あるいは寝ぼけながら見てた天気予報か何か。


とにかくその「川棚町」ってワードが、
なぜか脳内に引っかかって離れなくなったんですよ🌀


で、
なんとなく気になって、
行ったこともないのに、
調べてしまったんです。笑


■ 川棚町ってどこよ?から始まる話


まず川棚町。
正直、長崎県民でも「場所は?」って聞かれたら
う〜ん……ってなる人、多いんじゃないかと。


僕もそのひとりです🙋‍♂️(きっぱり)


地図で見てみたら、佐世保の右横。
東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)っていう、
あまり馴染みのないカテゴリに属してる町でした。


東彼杵って、「そのぎ茶」のあの“そのぎ”ね🍵


「ああ〜、あのへんか」って納得したけど、
まぁ実際に足を運んだことは、たぶんない。
通過すらしてない可能性もある。


だけど不思議なことに、
そんな「知らない町」に惹かれる瞬間ってありません?😶‍🌫️


■ で、調べた。現在の人口は?


さっそくGoogle先生にお聞きしてみたところ、
川棚町の2025年12月1日時点の人口は……


12,667人!


おおっ
意外と…少ない?


というか、
これが多いのか少ないのかすら、もうわからん笑


念のため、昔のデータも探ってみると……
平成27年(2015年)の人口は14,071人とのこと。


えーと……
ざっくり10年間で1,400人減少してるわけですね🤔


うちの高校の全校生徒がそのままいなくなった感じ。
これはけっこうインパクトある。


なんだろう。
じわじわと削られるこの感じ……
我が家の貯金残高とよく似てて、ちょっと親近感すら湧いてきた🫠


■ 減りっぷりが気になって、さらに深掘り


ちなみに、同じ時期(2015→2025)の諫早市の人口変化も見てみた。


こちらは
約137,000人 → 約131,000人くらい(※これはざっくり)


およそ6,000人減ってるけど、母数がデカいから相対的にはマシ。


一方の川棚はというと、
元々が1万ちょっとの町だから、1,400人減でも率にしたら10%以上。


つまり、じわじわどころか、
「そこそこガッツリ減ってる」レベル。


地方の小さな町って、みんな似たような運命を辿ってるのかもしれないけど、
いざ具体的な数字を見ると、なんとも言えない切なさが込み上げてくるんよねぇ😢


■ 何があった?川棚町の10年


もちろん事件や災害があったわけじゃない。


むしろ川棚って、調べるとわかるけど、
けっこうのどかで、自然も豊かで、温泉まである。


・川棚温泉♨️
・大崎自然公園🌿
・魚雷発射試験場跡(←このクセ強スポットが気になる)💣


正直、諫早の観光資源と比べると、
川棚のほうが“キャラが立ってる”まである。


でも、それでも減る人口。


結局、仕事が少ないとか、
子育てしづらいとか、
若者が出て行って帰ってこない問題とか、
全国の地方あるあるが、ここにもがっつり詰まってるっぽい。


■ 逆に、なんで気になったんだろう?


このごろ、なぜかこういう小さな町に興味が湧くんですよ。
たぶん年齢のせいなんだろうなぁ〜(30代後半)


昔は、にぎやかで派手な場所に惹かれてたけど、
今は「何もない」ことに価値を感じてしまうというか……


川棚の「ひっそり感」って、逆にエモい。
むしろ行ってみたくなる。
ていうか、なんなら一回住んでみたいまである🏡


……って言いながら、
実際に引っ越す勇気はないけどね!!(断言)


でも、今の暮らしにちょっと疲れたとき、
ふと「川棚ってどんな町だったかな」って思い出してもらえるような、
そんな存在になれるんじゃないかなと。


誰目線で言ってんのか自分でも謎だけど笑


■ そして今日も行かないまま終わる


結局、川棚町のことをいろいろ調べて、
ちょっとセンチメンタルになったり、
現実に打ちのめされたり、
行きたくなったりしたんですけど……


今日も一歩も外に出てません☀️🏠🧍‍♂️


コタツに入ったまま、スマホで調べものしてるだけ。


たぶん、こういう人間が一番ダメなんだろうな〜
地域活性化にも貢献してないし、
観光にも行かないくせに、数字だけ見て語ってるという……


うん。
自分が町の人口減に何も貢献してないことに、
今さらながら気付きました😇


■ でも、こういう“気づき”が大事だと思う


行かなくても、知ろうとする気持ちって大事。
知らないよりは、ちょっとでも興味持ったほうがいい。


そしていつか、何かのきっかけで本当に訪れることがあれば、
「ああ、ここがあのとき調べた川棚かぁ」って、
ちょっとした感動があるかもしれない。


というわけで、
このブログを読んだ人が一人でも
「川棚って名前、聞いたことあるかも」って思ってくれたら、
僕の勝ちです。笑


■ 最後に


人口減少ってネガティブに捉えられがちだけど、
そこにしかない空気とか、静けさとか、あたたかさとか、
そういうのもちゃんとあると思う。


減る一方でも、消えるわけじゃない。


そう思いながら、今日もまた、
地元・諫早の空の下で、行かない町のことを調べているのでした☁️


次はどこにしようかな?

 

川棚町 公式サイト