波佐見町──この名前を見かけた瞬間、「はさみ…ちょう?はざみ?なんて読むんだ?」と、思わず声に出してしまった。調べてみたら “はさみちょう” と読むらしい。
長崎県に住んでるくせに、知らない町名を正しく読めなかったことに、なんだか背筋を軽くつねられた気分だ😂
しかもこの町、海に面していない長崎県では珍しい 山あいの町 だとか。長崎といえば「海とカモメ」のイメージが根強いけど、こういう“内陸らしさ”を持っている場所もあるのかと思うと、少しワクワクしてくる。
特に気になったのは、人口の変化。数字って、冷たいくせに、時々やたら人間臭いドラマを語る。
2025年11月1日時点 → 14,033人
平成27年(2015年) → 15,125人
約10年で1,000人ほど減っている。
数字だけ見ればただの減少。でも、それは決して「単なる数字」じゃなくて、町の声や匂い、人の暮らし、祭りのざわめき、学校のチャイム、商店街の明かり……それらが少しずつ静かになっていくみたいで、胸の奥のほうがじんわり締め付けられる😢
だけど、なぜか “悲しさだけじゃない” のが、不思議で魅力的なところ。
波佐見町といえば、全国に名を知られている 焼き物の町、波佐見焼。
何百年も前から、土を練り、釜で焼き、形を整え、暮らしを支える器を作ってきた町だ。器って、人間の生活のど真ん中にいるのに、無言で寄り添うような脇役だよね。
華美じゃないけど、手触りや色味には“その人の暮らし”を刻む記録のような趣がある。そんな器が町中で生まれ続けているって、言葉にすると地味だけど、実感するとめちゃくちゃ熱い🔥
想像してみた。朝早く、湿気混じりの冷たい空気の中、山の影が長くのびる。田畑にかすかな霧が立ち上り、土の匂いが鼻の奥に残る。その向こうに、陶工たちが土をこねる乾いた音や、薪を足すときのパキッとした火の息がこぼれていく。
昼になると、焼き上がった器が並べられていく。まるで“顔”のない子どもたちが整列しているようで、どこか可愛らしい。手のひらに乗せてみると、ひんやりして、でもどこかあたたかい。器なのに、手にすると呼吸しているように感じてしまう。
夕方になると、山の影が町を包み、稲穂が風で揺れて、葉がこすれ合う音がサラサラ聞こえてくる。虫の声が耳にまとわり、遠くで犬が小さく吠える。
夜、外灯が少なくなり、星が濡れたように光る。その下で、土の匂いと湿った草の香りが溶け合って、足元から静かに迫ってくる。ああ、“田舎”って、こういう匂いだったんだなと、嗅覚に直接問いかけてくる🌌
諫早に住む自分からすると、波佐見町って「遠すぎず、でもちょっと特別感のあるご近所」みたいな立ち位置だ。親戚の家ほど身近じゃないけど、ふとした時に思い出す“帰省先候補”のような不思議な存在感。
「特別に行きたい理由があるわけじゃないけど、気づいたら行きたくなる町」って、世の中にどれだけあるだろう?
スタバとかショッピングモールとか、きらびやかな施設があるわけじゃない。でも「静けさ」や「ものづくりの息づかい」が、観光地でも商業地でも味わえない あたたかさ を持っている気がする。
人口が減ることは確かに寂しい。でも、人口が減る町で、“残ろうとする文化や仕事” があるのって、逆にすごく希望じゃないかと思う。
だって、便利じゃなくても、お金になりにくくても、「ここで作りたい」「この町で暮らしたい」と思う人がいるってことだから。
もしかしたら、波佐見はこれから、便利さを追いかける世界とちょっと距離を置きながら、「ゆっくり暮らす生き方」を求める人たちに、そっと寄り添う町になるのかもしれない🌱
そんな風に考えていると、数字で見る人口減少も、「失われていくもの」だけじゃなくて、「残ろうとする想い」を照らす光のようにも思えてくる。
町は縮むかもしれない。でも、濃くなるものだってある。
その濃さが、焼き物の温度と一緒に、未来へ静かに残っていくのなら──なんだか悪くない👍✨
今度、高速を走らせてドライブでもしてみようか。諫早から、山の道を抜け、器の町へ。
最新のスポットなんて不要。土の匂いを感じて、素朴なカップをひとつ買って、帰り道に夕日を浴びながら、改めて思ってみたい。
「便利だけが、豊かさじゃないのかもしれないな」って。
きっとその答えを、波佐見の空気がそっと教えてくれる気がする🍵🪶🌾🕯️🌙
