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長崎市

長崎市の人口推移を追ってみると町の変わり方が見えてきた

 

長崎市の人口は本当に減っているのか。そう聞かれたら、私としては「長い目で見れば確かに減っている」と答えると思う。でも大事なのは、減ったという一点ではなく、その過程で町がどう変わってきたのかということ。

町全体が均一に小さくなっていくのか。それとも、一部に人が集まり、別の一部では離れていくような変化なのか。私の感覚では、長崎市は後者に近い。

 

均等には縮まらない町のかたち

統計グラフの線は下り坂。でもその下がり方が、町のすべてに均等に現れているとは思えない。(長崎市の推計人口

長崎市は坂が多くて平地が限られ、港と中心市街地に人や施設が凝縮しやすい地形になっている。こうした場所では、人口が単純に減るというより、住みやすい場所へ人が寄っていく。

私の仮説としては、人口減少は町全体を均一に薄くするものではなく、中心は残りやすく、周縁部、とくに坂の上は先に密度が下がりやすい。代わりに、駅や電停、平地や幹線道路沿いには人が集まりやすい。

体感としても、町はそう動いているように感じる。

 

周辺の町とセットで見た方がわかりやすい

私は諫早市に住んでいる。長崎市へは国道34号で行けるし、高速道路で長崎インターに抜けるのも早い。この近さがあるからこそ、長崎市の人口減少という話を聞いても、実感としては「町がしぼんでいる」とは思いにくい。

実際、長崎市の周辺には時津町や長与町がある。こういったベッドタウン的な動きをする町が隣にあると、住む場所が郊外に散ることで中心部の人口は減っても、実は生活圏そのものは広がっている。(時津町の人口について長与町の人口事情

人口統計の線は行政界の中の人数を表すだけで、生活圏の感覚とは必ずしも一致しない。浜町や思案橋、長崎駅周辺には今も人の流れがあるし、長与や時津、大村や諫早から日常的に長崎市中心部へ行く人は多い。

長崎県美術館、水辺の森公園、出島、グラバー園、大浦天主堂、稲佐山など、観光施設や公共施設が集まるエリアは簡単には空洞化しない。

 

中心が強いのは理由がある

長崎市の中心部は、商業だけでなく、観光、行政、交通といった機能が重なっている。市役所があり、路面電車の結節があり、長崎駅も長崎港も近い。

長崎駅周辺の再開発も進み、アミュプラザ長崎などの新しい商業施設が登場した。人口減少時代に玄関口を整備するのは矛盾に見えるかもしれないが、私はむしろ自然な流れだと感じている。

すべてを更新できないからこそ、人の通り道となる結節点に投資を集中させる。結果として、中心部は粘る。

その代わり、周縁部、特に坂の多い地域は揺れやすくなる。

 

坂の上から始まる暮らしの再配置

長崎の坂道は観光的には魅力があるけれど、生活面では不便が多い。平和公園や原爆資料館の周辺でも、少し外れると階段や細道、急な坂が待っている。

高齢になると、坂は負担になる。買い物や通院、ごみ出し、雨の日の移動。それぞれが住み替えを考えるきっかけになる。

こうして、坂の上から駅やバス停の近くへ。平地へ。再配置が静かに進む。数字よりも、空き家や閉店、バス路線の縮小などから見えてくる。

でも、坂の上がすべてダメになるわけではない。夜景や静けさという価値がある。稲佐山のように、外から見られる景色を内側から享受できる暮らしを選ぶ人もいる。

つまり、減る場所と残る場所、価値の再定義が同時に進んでいるように見える。

 

同じ人口でも町の変化は違う枚方市や岡崎市との比較

長崎市の人口は38万人台。この数字に近いのが大阪府枚方市と愛知県岡崎市。(全国市町村人口ランキング

枚方市は大阪と京都の間にある住宅都市で、鉄道や道路のネットワークが発達している。地形も平坦で、長崎市ほど生活に制約がない。

岡崎市は名古屋圏に近く、産業と住宅が共存し、岡崎城のような歴史的な核も持つ都市だ。生活圏は自然に平地へ広がる。

この二つと比べると、長崎市は地形が町の変化を決定づけているように感じる。周辺に時津、長与、諫早、大村といった移動先があることもあり、人が分かれやすい。

だからこそ、中心部は再整備で残り、坂の多い周縁部はじわじわ密度が下がっていく。この二極化こそ、長崎市特有の変化の癖ではないかと思う。

 

人口減少というより再配置という見方がしっくりくる

人口は確かに減っている。けれど、それは町の再配置とも読める。

観光、公共、交通の重なりがある長崎駅、浜町、出島、思案橋、グラバー園、大浦天主堂、県美術館、水辺の森公園といった中心部は粘り強く残る。

一方で、生活圏は時津や長与まで広がり、坂の多い地域では暮らしの負担によって人が動く。

同じ規模の枚方市や岡崎市と比べても、変化の出方が違うのは、広域圏の平地都市か、それとも地形が生活を左右する港町か、という構造の違いがあるからだろう。

私には、減ったというより「寄った」という印象が残る。

どこに寄って、どこが残り、どこが薄れたのか。

その答えを探しに、また長崎の町を歩いてみたくなる。

 

 

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長崎市   2025/11/06   諫早開発陣