松浦市の人口って、いつから減り始めたんだろう?
諫早から北へ向かって松浦へ行くと、空気がまず違うなって思う。
海の色が濃いし、風に混じってくる潮の匂いも全然違う。なんというか、「港の町に来たなあ」って感覚がするんよね。
松浦に行く日は、たいてい西九州道から国道204号へ。そのまま海沿いを流して、途中で「道の駅 松浦海のふるさと館」に寄ってしまう。魚がきれいに並んでて、つい何か買ってしまうのはもう毎回のこと。
で、本題。
この町って、いつから人が減り始めたんだろう?
先に結論だけ言っとく
松浦市の人口が減り始めたのは、1960年からです。
これはもう、国勢調査の数字がしっかり証明してる。
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1955年:58,388人
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1960年:60,912人 ← ピーク
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1965年:46,982人 ← いきなりガクンと減る
5年間で、1万4千人近く減ってる。冷たい数字だけど、けっこう衝撃。
昭和の松浦に、何が起きてたのか
松浦って、今でも「魚の町」ってイメージが強い。実際、松浦魚市場の活気もあるし、調川のあたりを走ると港の雰囲気がずっと続く。
でも1960年代、じつはかなり大きな変化があった。
炭鉱の閉山。それに伴う産業の変化。
松浦に限らず、県北の町はここでグラッと揺さぶられた。
仕事がなくなれば若い人が出ていく。戻らない。戻る理由もない。そんな流れが、1965年の人口急減にハッキリ出てる。
実際の数字を並べてみると…
今の松浦市の範囲(旧福島町、旧鷹島町を含む)で統一して見てみると、こんな感じ。
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1955年:58,388人
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1960年:60,912人 ← この年が頂点
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1965年:46,982人
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1970年:36,598人
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1975年:33,042人
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1980年:32,478人
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1995年:30,470人
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2005年:26,993人
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2015年:23,309人
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2020年:21,271人
1960年から1975年の15年で、約2万8千人が減っている。これはもう、町がまるごとひとつなくなったような感覚。
諫早から見える、松浦の「距離」
諫早から松浦へ行くには、佐世保を抜けて、国道204号を西へ走るのが定番。
途中から信号が減って、景色がどんどん開けていく。そのまま走ってると、「鷹島モンゴル公園」の案内板が見えてくる。芝生広場や遊歩道は無料開放されてて、子ども連れの姿もちらほら。
でも中心部に入ると、ふっと静けさを感じる。
松浦駅の周辺、志佐町のあたり。
まつばや松浦店の駐車場は車でいっぱいなのに、そのすぐ近くの通りは驚くほど静かだったりする。にぎわいと静けさの差が、ちょっとリアル。
人が減ると、施設の使われ方にも表れる
人口減少って、家が突然なくなるわけじゃない。
最初は空きが増えて、次に使い方が変わって、やがて維持できなくなる。そんな感じでゆるやかに変わっていく。
たとえば、志佐町にある「きらきら21」。
松浦市立図書館と中央公民館が入っていて、静かに過ごせるいい空間。
諫早の図書館は混んでて席が空いてないこともあるけど、松浦の図書館は違う。時間帯によってはかなり空いてて、勉強したい高校生にとってはありがたい環境。実際、松浦高校の子がよく利用してる。
あと「松浦市文化会館」。イベントがある日はにぎやかだけど、ない日は大きな建物がぽつんと静かに佇んでる。
人が減る町の公共施設って、どこか余白が目立つようになる。
減少を「感じた」のは交通の変化かも
数字の上では1960年から減っているけど、実際に肌で感じるようになったのは、駅前の寂しさが目立ってきたあたりからかもしれない。
松浦鉄道西九州線が通ってるけど、今の主役は完全に車。
駅の前に人がいなくなると、商店も減って、ますます駅の意味が薄れていく。そして人が歩かなくなる。歩かない町って、やっぱりちょっと寂しい。
一方で、西九州自動車道の松浦インターチェンジができて、道の整備はしっかり進んでる。国道204号の改良もあって、車ではかなり便利になった。
でも、人口って道路だけじゃ引き戻せない。過去からの惰性が強すぎる。
魚を買う時間に、暮らしのヒントがある
道の駅 松浦海のふるさと館で魚を買うのが好き。刺身も干物も、うまいし安い。
観光っぽく見えるけど、これは地元の暮らしの延長でもあると思う。
ただ、にぎわいが点で終わってしまうと、町全体は細く見える。
点をつなぐ“線”があって、その線を支える“面”があってこそ、暮らしって成り立つんじゃなかろうか。
たまに鷹島の方にも行く。橋を渡って海の景色がガラッと変わると、非日常感はある。でも住んでみたら、病院もスーパーも学校も「距離」がある。それが毎日のことになると、やっぱり大変だよねとしみじみ思う。
減り始めを知ることで、見えてくること
「1960年から人口が減っている」と知ったからといって、今日の夕飯が変わるわけじゃない。
でも、ずっと前から続いてる流れなんだとわかれば、目の前の出来事に一喜一憂しすぎなくなる。長い距離の課題だからこそ、焦っても仕方ないんだと思える。
そして、松浦の姿は、諫早の未来を少しだけ先に映した鏡のようにも感じる。今は人口が多くても、出生数が減れば同じ道をたどる可能性はある。
最後にちょっとした私的メモ
松浦に行くとき、いつも調川のあたりで車の窓を開けてしまう。港の匂いがして、ああ来たなあって思えるから。
帰りはスーパーで氷を買って、買った魚をクーラーボックスにしまう。それだけのことが妙に楽しくて、また行きたくなる。
日帰りでも行ける距離。でも、空気も景色も全然違う。その“違い”があるから、また行こうって思えるんだよな。
まとめておくと
松浦市の人口は、1960年をピークに減少が始まり、1965年には大きな数字の落ち込みが見られた。
その背景には、炭鉱の閉山や若者の流出、そして生活の足が車中心へと変わっていったことがある。
でも、今も松浦には、活気ある魚市場や、静かな図書館、広々としたモンゴル公園の芝生がちゃんと残ってる。
次に行くときは、国道204号を少しゆっくり走って、駅前の通りも歩いてみようと思う。歩かんと見えんもの、絶対あるけんね。
